活動報告

今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜❷

2016/03/28

ーー学校に通えなくなった当時、「親にもっとこうして欲しかった」というのはありますか?

 

中野さん  今だから言えるのですが、不登校は子供だけの問題ではないと思います。だから、親はもう少し早く外部に助けを求めたほうが良かったと思います。親が不安になると、子供も不安になります。逆に、親がのびのびしている姿は、子供を安心させると思います。

 

 

ーー外部に助けを求めるのは、早いほうがいいですか?

 

中野さん  早いほうが良いと思います。なかなか難しいかもしれませんが、子供が学校に通えていないことを、周囲にオープンにして助けを求めることで、親が楽になり、いずれは子供も楽になるのだと思います。

 

 

ーー当時の学校の先生に、して欲しかったことはありますか?

 

中野さん  僕の場合は、数学の先生が一番の問題でした。予習ができていなかった場合、罰として生徒を立たせていました。それを見るたびに、非常に責められている気持ちがして、「自分がそうなったらどうしよう」と考えてしまい、とても大きなストレスになりました。もちろん、その方法で勉強に励む生徒もいると思うので、一概に効果的ではないと言うつもりはありませんが、僕のように非常に苦しむ生徒が存在する事実を知ってほしいと思います。

 

 

ーー今までの約7年間で、中野さんにとって、励まされたり勇気づけられたりした出来事はありましたか?

 

中野さん  不登校になって数年経過した後に、少しずつですが体調が安定し始めました。ちょうどその時期に親から誘われて、過去に不登校を経験した方の講演会に行きました。そこで、聞いた不登校の体験談は、当時の僕に「なんとかなるよ、きっと大丈夫だよ」と思わせてくれました。

 

 

ーーこの7年間で一番苦しかったことは何でしたか?

 

中野さん まず最初は不登校になる直前が苦しい時期でした。学校に行ったり行かなかったりしていた時期です。また、その後学校に行かなくなって昼夜逆転し、ある程度経った時期、毎日夕方近くになると、学校から帰宅する途中の小学生の話す声がよく聞こえてきました。その声を聞いた瞬間に、「あぁ、オレは今なにをやっているんだろう」と思ってしまい、非常に苦しかったです。

 

 

ーーそういう苦しい時期から脱け出せるきっかけは何だったのでしょうか?

 

中野さん  ある時期から、アルバイトを始めたんです。まず最初にポスティング(チラシを配布する仕事)を始め、それからしばらくして、同時並行で食堂でも働き始めました。皿洗いはもちろん、簡単な調理も任されました。その他には、親の知り合いの方の紹介で、バスケのチームに混ぜて頂いて、ときどき体を動かしたりもしました。それ以降は、小学生の声はあまり気にならなくなりました。

 

 

ーー「何もしなかったことが辛かった」ということなんですね?

 

中野さん  はい、そうです。ある程度元気になったことで、じっと家にいることが苦痛になっていたのかもしれません。アルバイトをすることで、社会に参加している実感がありました。今考えると、アルバイトやスポーツをして体を動かすことで、心のリハビリにもなっていたのかもしれません。

 

次回へ続く。

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