活動報告

今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜❼

2016/04/20

ーーこれまで、毎日心がけていたことはありますか?

 

中野さん母   一つは、食事です。食べることは非常に大切だと考えていましたので、食べようが食べまいが、太郎の食事をしっかりと作っていました。もう一つは、家族以外の第三者の風を入れることでした。家庭教師の先生の他にも、当時お世話になっていた鍼灸の先生に来て頂きました。できるだけ、家族以外の人間が入る家にしたいと考えていました。

 

ーー不登校になった後、社会性を身につけることに関して、どう考えておられたのですか?

 

中野さん母   先ほどと同じ答えになりますが、できるだけ第三者の人間と会わせるようにしました。家庭教師など家族以外の方との接触を保ったことによって、その後外に出て、バスケのサークルやバイト先の人達と触れ合いやすくなったと思います。

 

ーーこれまでを振り返り、「あの時、もっとこうしておけば良かった」と後悔していることはありますか?

 

中野さん母   ある時に、太郎に家事を手伝ってもらおうと思い、一緒に食事を作ったことがありました。今では、太郎は料理ができるようになっていますが、当時は料理の経験も少なかったので、私一人で準備したほうが早く作れたんです。それを察した太郎が「僕が手伝って、役に立つの?」と聞いてきました。私は「まあ、助かるかな。。。」と曖昧な返事をしてしまいました。当然ながら、それ以降は手伝ってくれなくなりました。あの時、「あんたに手伝ってもらって助かるわ〜、いつもありがとう」と答えたほうが良かったと今は思います。

 

ーー「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたほうが良かったということですね。

 

中野さん母   はい、「ありがとう」は相手の存在価値を高める言葉ですよね。

 

ーーどんな時に、太郎くんの回復を感じ始めましたか?

 

中野さん母   一つは、バスケのサークルに入った時、練習時間に合わせて現地へ行くことができた時です。また、そのチームメイトのホームパーティーに誘われて、そこへ行くことができた時もそれを感じました。もう一つは、バイトを始める際、太郎が自分で電話をして、先方と話をすることができた時です。

 

ーーお母様が、不登校を通して学ばれたこと、気付いたことは何でしたか?

 

中野さん母   一つは、「〜であるべきだ、〜しなければならない」の考え方から、いろいろな考え方があっていいと思えるようになったことです。その結果、以前よりも自分自身を好きになれました。もう一つは、太郎の不登校を通して、彼の人間像を知ることができました。学校に行かなくなる以前までは、子供の全部を理解していると思っていました。でも、やんちゃな次男坊だと思っていた彼に潜んでいた繊細な部分を知ることで、実はそうではなかったことに気づかされました。

 

ーー親だからといって、子供の全てを理解できていたわけではなかったのですね。

 

中野さん母   そうです。「子育ては自分育て」であると、本当に実感しました。学校に行けなくなって今に至るまで約7年経過しましたが、かかった年数分、子供に手をかけさせてもらったと感じています。例えば、もっと大人になって親元を離れた後に、会社に行けなくなって引きこもってしまっても、太郎のために多くのことを出来ないのではないかと思います。今だから言えることかもしれませんが、私の目の前で起こってくれて良かった気がします。

 

ーー最後ですが、みんなの家庭教師に来てもらって良かったことは何でしたか?

 

中野さん母   子供を客観的に見てくれる人がいることで、親の目線では気付かないことを指摘して頂いたことです。第三者の言葉で、気付かされることが多くありました。また、太郎にとっても、定期的に家族以外の方と話をすることで、気分がリフレッシュされ、その後、他の外部とのコミュニケーションが円滑になったと思います。約7年間ありがとうございました。

 

ーーこちらこそ、長い間ありがとうございました。今日のインタビューを長時間引き受けてくださり、大変感謝しております。本当にありがとうございました。

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